3月6日天神社 二・絵馬額天神社を歴史コラムで紹介したいと取材に伺ったのが、 昨年末の12月28日、とても寒い日だった。 ちょうど、氏子さんたちが正月の注連飾りを新しくするなどの 準備をされていた。 拝殿に上がらせていただくと、普段は閉まっている拝殿正面の 突き出し戸が開いて、中は明るかった。...
1月30日天神社 一・笠間の鬼門笠間市大渕の旧国道50号沿いの、かつて青果市場があった手前に位置する大渕天神社。社名額には「天満宮」と記されていることから、かの学問の神様・菅原道真公を祀った京都の北野天満宮の分社として、鎌倉時代後期に、笠間城主の笠間時朝が創建したとされている。...
1月2日時鐘楼の梵鐘笠間の年越しと言えば、時鐘楼(じしょうろう)で打ち出す除夜の鐘。この音で、新年を迎える気持ちになる人も多いだろう。 笠間の街に時の鐘(時鐘)が響くようになったのは寛文2(1662)年のこと。滝野一永(たきのかずなが)という町人が鐘つき堂(鐘楼)を建てたとされている。明治期に...
1月2日三所神社の四神旗神とは、古代から信仰されてきた天の四方を司る神獣で、東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武の事。いわゆる四方の守り神で、日本の歴史には「青龍刀」「白虎隊」「朱雀門」「玄武岩」など、この守り神にちなんだものが、数多く登場する。...
1月2日井筒屋旅館72011年3月、東北地方を中心に未曾有の大災害がおきた。東日本大震災である。笠間も震度6強が観測され、井筒屋旅館も瓦が崩れ落ち、客室が倒壊し大きな被害を受けてしまった。1階インフォメーションには当時の写真が残されており、今更のように悲しみと無常さが甦ってくる。...
2021年8月26日陶芸の町 かさま地元笠間市は、笠間焼の産地です。江戸時代から現在まで、焼物(陶芸)の里として陶文化が、脈々と受け継がれています。今は、200名以上の陶芸作家さんが作陶活動をされていて、人気参加さんは国内だけでなく海外にも活躍の場を広げています。...
2021年8月22日井筒屋旅館6井筒屋旅館は、大町の大火で焼失し、明治中期に再築されたが、その時の非常に珍しい縁起物が、歴史交流館となった井筒屋の今に残されている。 それは、当時の上棟式の時に用いられた破魔矢である。表鬼門には鶴の、裏鬼門には亀の絵が描かれた破魔矢をたてる風習が、この地方にはあったとされて...
2021年8月21日井筒屋旅館5今回は井筒屋を支えた「石」のお話。 笠間の稲田地区は、良質な御影石の産地で、明治期に鍋島彦七郎によって、稲田石が採掘され、発展した。 彦七郎は、石を流通させるために稲田駅を作り、都内に運び、日本橋や最高裁判所など、日本の近代建築の素材として用い、事業家として成功した。井...
2021年8月12日咸臨丸にかけた夢みなさんは咸臨丸(かんりんまる)という船をご存知ですか? 江戸時代に初めて太平洋を往復した徳川幕府の軍艦(艦長は勝海舟)です。そして、この咸臨丸の航海長として冬の荒海を乗り越えアメリカのサンフランシスコまで導いたのが笠間の偉人「小野友五郎(おのともごろう)」です。...
2021年6月8日井筒屋旅館4「井筒屋旅館は、稲荷講の参詣者が多かった頃、また昭和60年のつくば万博の時は、客室が連日満室で、大盛況だったのですよ」と、旅館最後の管理者の宮本さんは話される。 稲荷講とは、五穀豊穣、商売繁盛を願う信者衆が、講話を聞くなど参詣する集まりのことで、昭和30年頃まで盛んであった...
2021年5月7日井筒屋旅館3格式のあった井筒屋には、多くの著名な方が来館されたようだ。 国民的スターの坂本九さんは、笠間稲荷神社で挙式、井筒屋でお披露目会をされた。当時の写真も残っているので是非ご覧下さい。 旅館の最後の管理者である宮本さんのお話では、芸能界の大御所、石原裕次郎さん、勝新太郎さん、市原...
2021年5月7日井筒屋旅館2明治の初め頃、大町の大火によって井筒屋旅館は全焼してしまう。その後、明治13年に再建されるが、用いた建材は同じく消失した水戸城の残材を払下げられたもの、と伝わっている。が、文献がないので定かではない。 笠間城記を読むと、この辺りの火事は何度かあったようで、「立て続けに2度も...
2021年3月9日井筒屋旅館師走のカサマフォトミッションのクイズにもなったが、井筒屋は、もとは旅館だった。今から約190年前の江戸期に創業され、東日本大震災で被災、廃業するまで19代続いた老舗である。旅館の最後の管理者であった、宮本智子さんによると、客室が36室、160人が宿泊できたとされる。...
2021年1月10日加藤桜老のこと加藤桜老という名をご存知だろうか。 幕末の儒学者で、水戸学の礎となる尊王攘夷の思想をもつ笠間藩士であり、高杉晋作等多くの志士と交流し、時代の一つの流れを作った人でもある。 昨年11月に、笠間小学校正門脇にある桜老像の除幕式が行われた。長州藩から強く乞われ、明倫館の教授として...
2021年1月10日笠間義士会年末の風物詩の一つに「忠臣蔵」がある。主君の無念を晴らした義士の物語は、現代でも心に響く美談だ。「その志を受け継ぐために発足したのが、笠間義士会です」と話すのが、義士会代表で笠間稲荷宮司の塙東男さん。もともと、浅野家は笠間藩主であり、赤穂に転封して58年後に討ち入り事件は起...
2020年10月27日真浄寺と八幡台櫓真浄寺は、井筒屋から北に700メートルの所にある日蓮宗のお寺である。境内でひときわ目をひくのが、笠間城にあった八幡台櫓(はちまんだいやぐら)。明治13年に檀家の方の尽力でこの地に移築された。櫓とは、戦時には本丸を守る戦いの最前線となる。...
2020年10月23日笠間城のこと「続日本百名城」の一つに数えられる笠間城は、鎌倉時代に笠間時朝によって築城された、関東では珍しい天守台石垣がある山城であった。 近江の高度な技術をもつ石工集団、穴太衆の手による石組みは、東日本大震災で一部崩落したが、今でも見ることが出来る。大小の自然石を堅固に積み上げられた...