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天神社 一・笠間の鬼門


 笠間市大渕の旧国道50号沿いの、かつて青果市場があった手前に位置する大渕天神社。社名額には「天満宮」と記されていることから、かの学問の神様・菅原道真公を祀った京都の北野天満宮の分社として、鎌倉時代後期に、笠間城主の笠間時朝が創建したとされている。

 一時期、荒廃し、神職も途絶えたが、江戸時代の正保2(1645)年に町人・滝野一永(たきのかずなが)によって、再興された。現在、時鐘楼として時の鐘が保存されている鐘つき堂を、建てるように笠間藩に働きかけた人物である(先月号参照)。  それより今日まで、天神社は大渕地区の氏神として、崇められてきた。

 笠間時朝がこの地に天神社を創建したのは、笠間城の鬼門(丑寅:古くから、鬼が出入りすると言われ忌み嫌われた方角)だったから。笠間城や笠間の街全体を長い間、守ってきたこの神社には、市の文化財として指定された建築や社名額、奉納額なども保存されている。鬼門封じの神社の物語を、今回からシリーズで紹介したい。


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