笠間城址に「布里武久盤 啼久児能親可田宇恵笠」(ふりむくは なく子の親か田植笠)という句碑がある。
これは、歴代の笠間藩主の中でも名君といわれる牧野貞喜が詠んだ句である。
ひっ迫していた藩の財政を立て直し、農政改革にも力を入れた。
一方で、多趣味な人で、自ら城内に窯を作るほど焼き物が好きで、俳句も好んだ。
冒頭の句は、田植えをしている農民が、子どもの鳴き声で田植えの手を止めて
振り返る様子を詠んだものだろうが、農業振興に力を入れればこその句であるように感じる。
その石碑は、最後の笠間藩主である牧野貞寧が明治19(1886)年に建てた。
それだけ、笠間にとっては功績が多い人である。
2022年は、その貞喜の没後200年の年にあたり、笠間市内で「牧野貞喜展」が開催された。そのときの図録を当館でも1冊千円で販売している。
変化への対応が大切な現代において、貞喜の足跡を感じてみてはどうだろうか。
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