笠間は陶芸家だけでなく、
音楽や美術のアーティストが数多く住み、
独自の活動をしているところから、アートの街、芸術の街である。
その基礎を作ったのが
長谷川仁(1897~1976)という笠間にルーツを持つ画商である。
先祖は笠間藩の藩医。
笠間の小学校で学び、明治学院大学を卒業。
昭和初期に東京の銀座に日本の画廊の先駆けとなる「日動画廊」を設立。
太平洋戦争後に世界の美術館や画廊を視察し、常設館画廊を新設。
日本を代表する洋画商となった。
昭和39年に、
当時の笠間市長・長谷川好三が「芸術の村」を建設する計画に対して、
仁は初代村長となり、
資金援助を行い、 鎌倉市にあった北大路魯山人のアトリエを移築した。
これが、今も人気のスポットとなっている「春風万里荘」である。
決して順風満帆ではなく、
苦労を重ねながら少しずつ芸術の村は発展し、
現在の形となっている。
昭和47年には、「笠間日動美術館」を建設。
世界的な美術品・工芸品を身近に感じられる場所となっている。
、茨城県陶芸美術館では、2024年7月7日まで
企画展「魯山人クロッシング」が開かれている。
仁の足跡を思いながら、この展示会を見るのもいいだろう。
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