猛暑が続く8月末に城里町にある徳蔵寺を訪ねた。
笠間と非常に所縁がある寺で、旧七会村徳蔵(とくら)にあり、
山号は引布山(いんぷさん)、寺院名は徳蔵寺(とくぞうじ)という。
徳蔵という同じ漢字でも、地名と寺院名で呼び方が異なる。
笠間城記には、鎌倉時代に佐白山正福寺と引布山徳蔵寺との間で
戦いがあった記述がある。
笠間城記は、
江戸時代に笠間藩主井上正岑の藩医である久保整伯によって
文献や伝承を調べまとめ書かれたもので、
笠間史談会によって現代文に読み下した冊子が手元にある。
現在、その冊子は絶版になっているが、
市内図書館や井筒屋の閲覧コーナーで読むことができる。
正福寺、徳蔵寺は、鎌倉時代にあった場所が今とは異なる。
正福寺は、かつての笠間城的場丸(現在の千人溜まり駐車場)の
入り口の向かいにあった。
大きな伽藍と三重塔を有した正福寺の絵図が井筒屋の2階に展示してある。
また、徳蔵寺も今の場所より2㎞ほど離れたところにあったという。
以前、井筒屋だより41号で取り上げた「花まつりの六堂」に
笠間の六堂の仏像を紹介した。
その中で、地蔵菩薩があった阿弥陀院は、今は廃寺となっており、
その地蔵菩薩は徳蔵寺にあると紹介した。
同じ宗派の阿弥陀院と徳蔵寺は、行き来があり、廃寺になるときに、
阿弥陀院の仏像が徳蔵寺に託されたようである。
そのため、笠間の六堂参りは、今は笠間市外の徳蔵寺も含まれている。
阿弥陀院にあった地蔵堂という扁額も当代住職によって修復され、
地蔵菩薩像の前に掲げられている。
歴史をたどり、ご住職の話を伺って、徳蔵寺は笠間と深い所縁があることを知れた。
徳蔵寺は近在の八つの寺院で構成されている花の寺めぐりの一つとして
スタンプラリーも実施している。

コメント